※博士が絶賛狂気真っ最中の時に書いたので、こんな話に(汗)
 本編でもパパが博士を信じてる描写がちゃんとあったのが、嬉しかったな。
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ロスト島でシュタインが倒れたと伝えられ、デスサイズは愕然とした。
彼が己の狂気に苦しんでいたことは知っていたけれど、こんなに突然加速するとは予想の範囲外だった。
結果的にBRWEをアラクノフォビアへ渡す羽目になったシュタインは、療養の意味も込めて死神様から自宅謹慎を命じられたらしい。
『長い付き合いだが、あんなシュタインは初めて見たよ』
いつも冷静なシドの、沈痛な口調が事態の深刻さを物語る。
(シュタイン……)
デスサイズはきつく拳を握り締めた。

「―――スピリット?」
「どうだ、あいつの様子は」
いきなり研究所に現れたデスサイズに、マリーは驚きながらも寝室へと案内した。
「今は眠ってるの。少しは落ち着いたみたい」
「そうか……」
ツギハギのベッドに横たわるシュタインを、デスサイズは見おろした。
許から血色がいいとは言えないが、仄かな間接照明の明りに浮ぶ顔は輪をかけて蒼白い。まるで処置室に置かれた死体のような―――脳裏に浮んだ縁起の悪い連想を頭を振って振り払うと、デスサイズはマリーに顔を向けた。
「マリー」
「なに?」
「今夜は俺がこいつについててやるから、寝ていいぞ」
「え?でも……」
戸惑うマリーに、デスサイズはことさら明るく笑いかける。
「ロスト島から戻って、ほとんど休んでないんだろ。看護する側が倒れてちゃ元も子もない」
「………そうね」
少しためらって、マリーは頷いた。
「スピリットが側にいた方が、シュタインも早く良くなるかも……」
「え?」
「ううん、なんでもない」
マリーはかぶりを振ると、にっこりと微笑んだ。
「それじゃ、シュタインのこと頼むわね」
「おう、任せとけ」
自分の寝室にマリーが引き上げたあと、デスサイズは椅子をベッドの傍らに引き寄せて座った。眠るシュタインの顔を見つめる。
『珍しいよな、お前の寝顔を俺が見るなんて』
いつも、セックスのあとは疲れきって泥のような眠りに落ちてしまい、目を覚ました時にはシュタインはもう横にいないという事が殆どだったから。
それも、臨時パートナーを解消されシュタインがマリーとコンビを組んでからは、すっかりご無沙汰だったが。
唯一色彩らしい色彩のある瞳を閉じていると、シュタインは白っぽい作り物の人形のように見える。銀色の髪、色素の薄い肌。大きなネジも作り物感を倍増させていた。
左頬に走る傷跡に、デスサイズはそっと触れた。出会った頃には、こんなものは無かった―――そこで、ふいにシュタインが目を開く。ビクリとデスサイズは手を引いた。
「……先輩?」
ぼんやりとした視線がしばらく彷徨って、デスサイズを捕らえる。
「よ、よう。目ぇ覚めたか、シュタイン」
何気なさを装いつつデスサイズは応じた。
「なんで先輩がいるんですか。マリーは?」
「自分の部屋で寝てるよ。お前の看病で疲れてると思ったから、代わろうって」
「……」
シュタインは黙り込んだ。その反応にデスサイズは戸惑った。
「えーと、その、具合はどうだ?倒れたって聞いたけど、結構大丈夫そうだな」
なんとかいつもの調子にもっていこうと、あえて軽口を装う。
「―――そう、見えますか?」
だが返された言葉は冷ややかだった。
「シュタ……」
「聞いてるんでしょう、狂気に捕われて俺がどんな醜態を晒したかは」
皮肉に口元が歪む。
ブランクがあるとはいえ長い付き合いの中で、デスサイズが見たことも無いシュタインの表情。
デスサイズの背筋を冷たいものが這い昇った。
見上げてくるシュタインのオリーブグリーンの瞳は、暗く、狂気よりもっとタチの悪いなにかに支配されている。デスサイズはその名前を知っていた。それは゛絶望゛だった。
子供の頃から、シュタインの嗜虐性と反社会性にデスサイズは手を焼いてきたが、それでもシュタインが、自身に対して負の感情を向けたことは無かった筈だった。
今までは。
絶句したデスサイズから、シュタインの視線が逸らされる。
「……済みません。先輩に当たっても仕方ないですよね」
声音に、いつもの飄々とした調子が戻る。
「あ…いや……」
デスサイズはかぶりを振った。どう切り出せばいいのか、取り掛かりが見つからない。
シュタインの中で確実に加速していく狂気。だが彼は正気を手放す最後の瞬間まで、他人に弱音は吐かないだろう。
『デスサイズを名乗れる唯一の武器だつっても、俺がこいつにしてやれる事なんて何も無いんじゃ……』
自分の思考に、自分で落ち込む。
学生時代から感じていた無力感。死武専始まって以来の天才児に、落ち零れの自分。死神様に組むようにと言われたという理由だけで、シュタインはスピリットを選んだ。そして、夜ごと繰り返される人体実験。
その事実を知らされ、デスサイズはシュタインから逃げ出した。
怖かったし腹も立った。だが、自分がシュタインにとってそれだけの存在でしかなかったという事実にこそ打ちのめされたのだと、随分たってからデスサイズは気付いた。
別の相手とパートナーを組み、娘が生まれ、その子がシュタインから教えを受けるようになるほどの時間が過ぎた。それでも、パートナーだった頃の共鳴の記憶は鮮かに甦って来る。
「―――俺じゃ、駄目か?」
絞り出すようなデスサイズの声音に、シュタインの瞳が僅かに見開かれる。
「お前の苦痛を、俺に預ける事は出来ないのか」
「先輩……」
見返してくるまなざしには、純粋な驚きのいろが浮かんでいる。デスサイズがそんな事を言い出すとは思っていなかった表情。そのことにまた胸が痛む。
「―――無理だよ、先輩」
シュタインはかぶりを振った。
「なんで…っ」
「先輩は狂気からは一番遠い所にいる。理解出来ないものを、引き受けるのは無理でしょう」
いっそ穏やかな口調だった。
もどかしさに、デスサイズは唇を噛んだ。理解出来るか出来ないかは問題じゃない、吐き出すことでシュタインが感じている苦痛を、少しでも軽く出来ないかという思いを、どうすれば伝えられるのか……煩悶にデスサイズが言葉を失っていると、シュタインが言葉を継いだ。
「―――ああ、でも先輩にお願いしとこうと思ってた事はあったっけ」
「何だ?」
デスサイズは身を乗り出した。しかし、その口から零れ落ちたのは―――
「俺が鬼神になりかけたら、先輩が俺の魂を狩って下さい」
静かな声音と表情だった。デスサイズは愕然とした。
シュタインの言葉の内容以上に、そう彼が言い出すであろう事を予見していた自分に。
そういう予想がついてしまうくらい、デスサイズはシュタインを知っていた。
死神の秩序に、自分の狂気の拠り所を求めたシュタイン。自身がそれを破壊する存在になった時、断罪をもまた死神に委ねるであろう事は想像にかたくない。
そして今、死神様の唯一の武器であるデスサイズは自分だ―――
パートナーを組んでいた頃から、一方的に無理強いしてきたくせに、最後の運命だけは自分の手に委ねようというのか。そんな望みを俺が叶えてやると、本気で思っているのか……ふいに、目の眩むような怒りが込み上げてきた。
憤りのままに、デスサイズは拳を上げると躊躇なくシュタインの頭に振り下ろす。
―――ツッ!」
鈍い音が響いて、同時にシュタインの呻き声が上った。
「……なにするんですか先輩」
「自業自得だ、アホ」
珍しくデスサイズの口調はキツい。
「お前だって、そんな事言われてはいそうですかと俺が引き受けるはずない事くらい、判ってるだろ。こんな時だけ甘えてんじゃねーよ」
「……甘えてますか、俺?」
「ああ。背徳心なんて持ったことも無いくせに、らしくない事言ってんじゃねぇ」
ふん反りかえったデスサイズの姿を見て、シュタインの唇に苦笑めいたものが浮かぶ。
「先輩に甘えるなんて、俺も年ですかね」
「だからそれは言うなよ」
眉間にシワを寄せつつ、戻って来たシュタインの調子に合わせてデスサイズの口調も軽くなる。ひとときの嵐はとりあえず去った。それでも、伏せられたシュタインの瞳の奥に狂気の影はちらつく。
考えたくは無いが、その時が来たら……デスサイズの胸がズキリと痛んだ。死武専最強と言われるシュタインが狂気に墜ちれば、止められるのは自分しかいないだろう。望むと望まざるとにかかわらず、シュタインと対峙することになる。
『出来るのか、俺に……?』
デスサイズは胸の内で呟いた。
5年という、人生において決して短くはない時間を共有し、身体と、そしてなにより魂を重ねた相手。娘や元妻に抱くものとは違っても、確かにシュタインに対する想いは、消えることなくデスサイズの中に在り続けた。
「―――先輩」
名を呼ばれて、デスサイズは我にかえった。シュタインのオリーブグリーンの瞳が見上げていた。
「お願いがあるんですけど」
「なんだ?またろくでもない事言い出したら……」
「いえ、今度はちゃんとしたやつです」
「ホントだろうな」
「ええ」
ゆっくりとシュタインの腕が上がり、デスサイズの唇に触れた。
「キス、して下さい」
デスサイズの目が見開かれる。
今までさんざんキスは交わしてきた。だがシュタインが強引に奪ったり、『キスしてもいいですか?』と言われざま、答も待たずにされることがほとんどで、して下さいなどと頼まれたことは一度もなかった。
縋るようにすら見えるシュタインのまなざしに、デスサイズは息を飲む。
「……ああでも、先輩に俺の狂気がうつるとまずいかな」
独り言のように呟く、その表情に、一瞬出会った頃の幼いシュタインの面影が過ぎる。もっとも、その頃でさえそんな頼りなげな表情を見せた事などなかったけれど。
微かに開かれた、血の気の失せた唇に、デスサイズは吸い寄せられるように顔を寄せた。
「せん……」
最後まで聞かずに唇を塞ぐ。少し荒れて乾いた皮膚の感触。軽く、触れるだけのくちづけを落とすと、濡れた吐息が零れた。
「―――デスサイズ様のキスだ。ありがたく味わえよ」
身体を起こし、わざとらしいほどの軽い口調でそう告げる。シュタインは微かな笑みを浮かべた。
「ありがとう、先輩」
「……やっぱ、らしくねえな」
「何が?」
「いつもは無理矢理やって、謝りもしないくせに」
「そうでしたっけ」
「そうさ」
デスサイズは苦笑した。
「らしくないんだよ。だから……」
指先でそっとシュタインの唇に触れる。
「早く起きて、また迫ってみろ」
「先輩……」
シュタインは毛布から腕を出し、デスサイズの手を掴んだ。はっとなったデスサイズを見上げる瞳には、見慣れた光が宿る。
「困ったな。今すぐまたキスしたくなった」
笑みを含んだ口調。聞きなれた響きに、デスサイズの顔がほころんだ。
「バーカ、おとなしく寝てろ」
笑いながら、デスサイズはシュタインの肩に毛布を掛け直した。
「眠るまでついててやるよ」
デスサイズの言葉に、シュタインの瞳が細められる。
「たまにはいいですね、こういうのも。先輩が優しい」
「俺はいつも優しいぜ。愛に溢れてるからな」
「愛……ですか」
呆れたようなシュタインの声に、デスサイズはしかし、真剣な口調で返した。
「ああ。お前のことも愛してるさシュタイン」
その言葉を聞いた瞬間、シュタインの表情が歪んだ。痛みに耐えるように。
「―――誰にでも言ってるんでしょ、それ。あまりありがたみ無いですね」
「お前ほんとに可愛くねえなあ」
「俺が可愛い方がいいんですか、先輩は」
「…………いや、気持ち悪い」
軽口に紛らせ、しかしそこに真実が潜んでいる事に、二人とも気付かないフリをする。
泣き笑いのような表情を浮かべて、シュタインは目を閉じた。
「……おやすみ、先輩」
「おう」
沈黙が落ちる。やがて静かな寝息がデスサイズの耳に届く。
(結局、俺に出来るのはこれくらいか……)
束の間の安息に身を委ねているシュタインを見下ろしながら、デスサイズは胸の内で呟いた。
ならば、自分もやれる事をやるだけだ。狂気と戦っているのは彼の方なのだから。
「……信じてるぜ。お前は最強の職人なんだ。狂気ごときに負けやしない、そうだろ」
聞こえていないのを承知で囁く。
この後輩の強さも脆さも知っている。だが、信じることだけは止めたくなかった。出口の見えない迷路の先に、それでも光はあるのだと。
デスサイズは、自分の唇に自分で触れた。シュタインのキスの感触を思い返しながら。
(早く、戻って来い。そしたら―――)
その時、もしかしたら自分達の関係は今までとは違ったものになるかもしれない。
そう、デスサイズは思った。

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